幸手市(さってし)権現堂桜堤の花見ガイド

桜の名所として有名な埼玉県幸手市権現堂堤の魅力を桜などの花・その周辺のお店や施設と共に紹介しています。

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さって観光マップ ⑧順礼の碑

権現堂 015 縮小版

 権現堂堤の上には、順礼供養塔(じゅんれいくようとう)と順礼供養之碑(じゅんれいくようのひ)が建てられている。
 享和(きょうわ)二年(一八〇二)六月、長雨のために水位が高まった利根川(とねがわ)はついに決壊し、人々は土手の修復にあたったが、激しい濁流に工事を進めることが出きず手をこまねいていた。その時そこを通りかかった順礼親子がこれを見かねて、自ら人柱(ひとばしら)を申し出、逆巻く流れに身を投じたという。するとたちまち洪水はおさまり、修復の工事が完成したという。
 これに対し、順礼親子が工事は無駄だといったのに怒った人夫(にんぷ)たちが親子を川に投げ込んでしまったという説もある。どちらが本当か分からないが、順礼供養塔は、人身御供(ひとみごくう)になった順礼親子を供養するため、昭和八年に建立されたものである。
 また、順礼供養之碑には、明治、大正の有名な日本画家、結城素明(ゆうきそめい)の筆による母子順礼の姿が刻まれている。【埼玉県 幸手市】

この権現堂堤の決壊は、何度も起きているようです。宝永元年(一七〇四)、安永九年(一七八〇)、天明六年(一七八六)、享和二年(一八〇二)、天保一一年(一八四〇)に決壊によって、人家が流失してしまったようです。その時に出来た池があったのですが、ほとんどが埋め立てられているようです。

そして、明治以降は堤防が決壊することは少なくなったが、明治四三年と昭和二二年に市域に押し寄せてきたそうです。特に昭和二二年の大水(河川の土手(堤防)が決壊して洪水が流れてくることである。)はひどかったようです。昭和二二年九月一六日、利根川がカスリン台風の影響で増水したそうです。そのため、東村(現大利根町)の堤防が決壊しました。

この影響で幸手の市域にも被害が出たようです。そして、幸手だけでなく、埼玉県東部から東京都東部まで浸水させたようです。【幸手市史】

順礼の碑は、権現堂堤の中にあります。地図の青い丸のところにあります。


001 縮小版 順礼の碑
001 縮小版 順礼の碑2

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